心の解析メモ〜個人的心理学整理ノート〜

ビジネス&普段に役立つ心理学

成人の発達理論について

人は年齢を重ねると記憶力が落ちるとか老化が認識されてくるので、
大人になったら、成長はしないのではないか、と、言われてきました。

 

しかし、最近では脳科学でも、
短期記憶の能力は若年層がピークなことは変わらないですが、
能力の分野によってはピークはもっと後で、成人してからも能力は伸びていく、
という考え方が主流のようです。

 

例えば、
表情から相手の気持ちを読む力は48歳、語彙力は67歳、
一般的な情報を新しい情報を学び、理解する能力は50歳で
ピークを迎えるという研究結果があるそうです。

 

同じように脳科学でなく、心理学分野でも成人の発達理論というものがあります。
やはり、成人になっても人は成長する、という理論です。

 

いずれにせよ、成人してから伸びると言われている能力のほとんどは、
一般に非認知能力、と言われる、テストでは測れないような
能力の類が多いのではないのかな、と個人的には思っています。

人の器とか、許容量とか、そういう類のものですね。

 

成人の発達理論(ロバート・キーガン)によると、
成人の発達段階は5段階(正確には成人してからだと4段階)あるそうです。

 

類似の理論が他にもあるようですが、
この記事はロバート・キーガンの成人の発達理論について、
概要をまとめてみます。

 

 

成人の発達と、そのイメージ

成人の発達理論では、人は、一生涯成長・発達すると考える。


そして、その発達具合については早い人も遅い人もいて、年齢では一概に測れない。
置かれた立場や状況によっても、振る舞いが変わる場合があるので、
一人の人でも使い分けていて変化がある場合がある。

 

また、その発達段階それぞれに、良い点・悪い点があり、
それぞれの段階で見えてくる世界や、それ故の苦しみや悩みがあり、
一概に、上の発達段階ほど、より幸せになれるとか、そういうこともない。

 

意識段階、発達段階が進むということは、認識できる世界が広がって、
これまで見えなかったものが見えてくるということ。

山を登ったら、より高いところが見えて遠くまで見渡せるとか、
オペラグラスを使ったらちょっと先が見えて、
望遠鏡を使ったらさらに先がみえる、そんなイメージ。

下から上に発達段階を登っていくので、
上の発達段階からは下の発達段階の世界が見えるが、
下の発達段階からは、上の発達段階の見え方はわからない。
この点には注意が必要。


成人の意識段階の分類

全部で大きく5つの意識段階に分類される。
ただし、一番最初の1段階目は成人になるまでのところのなので、
正確には成人としては4段階ある。
※より厳密には4×4分類で、16段階あるそうです......

 

  1. 具体的試行段階
    成人になる前の状態(小学生までによくみられる段階)
    具体的な物事を考えることはできるが、抽象的な概念は理解できず、
    思考できない。

  2. 利己的段階、道具主義的段階
    成人人口の10%と言われる。(中学生から思春期に多くみられる段階)
    自分の関心や希望を満たすことが主眼で、他者の都合や気持ちが見えにくい。
    自己中心的な世界に生きている。
    自分と他者、快か不快か、正解か間違いか、二分法で物事を捉えがちになる傾向がある。

  3. 他者依存段階、慣習的段階
    成人人口の70%前後といわれる。
    組織や集団に所属・従属する。何らかの他者に従って、意思決定を行う。
    自分なりの意思決定ルール、価値観が構築しきれていないので、決まり事やルールには従順に従う傾向がある。
    第2段階 利己的段階と違い、他者の都合や立場に立って物事を考えることができる。

  4. 自己主導段階、自己著述段階
    成人人口の20%未満と言われる。
    第3段階 他者依存段階と違い、自分なりの価値観、意思決定ルールを持ち、
    自分なりの規範に沿って、行動し、主張する。
    自己と同じように他者にも同じように自己規範があること自体を理解しており、尊重できるが、意識が自己に向いているため、自分と違う意見を許容しにくい。
    確固たる「自分の意見」を持っている。

  5. 自己変容段階、相互発達段階
    成人人口の1%未満といわれる。
    第4段階での自己の確固たる意識から離れて、
    自分の価値観や考えなどを客観的に考察し、内省を行い、
    既存の価値観や枠組みを壊して、新しい自己を作る、という行動をとる。
    他者と自分を明確に区別はせず、他者の成長は自分の成長と感じ、他者の成長に対しても積極的に取り組む。

メモ:
従来の企業では会社ルールに従って、きちんと動ける人間が多く求められたので、第3段階の人材を多く必要としてきたものと思われている。
昨今では時代の流れもあって、自立型人材が必要とされているため、第4段階以上の発達段階の人材が求められている、といわれているようだ。

ただし、無理に成長させようとするとどこかで成長が止まってしまう、という現象が発生する場合があるので注意が必要。 ※ピアジェ効果

 

まとめてみて

少し前に「ティール組織」という本が流行っていたのを覚えている方はいらっしゃるでしょうか。
あのティール組織は組織のお話でしたけれど、組織は人が作るものなので、その組織の人がどのような発達段階かでその組織のカラーも変わってくるはずです。

ティール組織は、現場で働くメンバにに意思決定権がきちんと委譲された組織を指すと理解しているので、この発達理論に従うと、ある程度、4段階か、5段階に属する人が組織にいないと回りにくいのではないかと思いました。

 

成人の何割がその段階にいるのか、という割合をみると、4段階か、5段階に属する人の割合はかなり少ない気がするので、組織が自立して動くためには工夫がいるのかもなぁとふと、思い出しました。


概要レベルで参考になった&時間をかけずに気軽に読めたという点で、
以下の本が良かったのでお勧めしておきます。

 

 

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Shadow、シャドー、シャドウ、影......「べき」という価値観

しばらくブログを見てなかったら(本とか読み漁っていたので)、
どうも「シャドウ 心理学」で検索していらっしゃる方が多い様子。

 

巷ではそんなにシャドウ、流行ってます?

 

この概念、ちょっとわかりにくい人には
わかりにくいと思います。

 

最近は、自己分析の性格タイプ診断とその活用に興味がわいていて、
成人の発達理論についての本を読み漁っています。


この辺を読み漁っていても関連している気がするので、
最近思うことを、興味の範囲で綴ってみます。

 

「シャドウ(影)」って単語がどうして気になる?

教科書に近い定義を調べながら、
以前にこのトピックについて、ブログに書きました。(加筆修正も) 

シャドウ……? - 心の解析メモ〜個人的心理学整理ノート〜

 

掘り下げてみたのは気に触る、憧れるというのはどういう反応か、
ということ。

 

これを掘り下げていくと、
価値観、個人的規範、そういったものにたどり着く気がします。

わかりやすく表現すると「べき」という表現です。

 

「べき」と思う時

「べき」って、他者から何か言われているような、
何か強制力があります。

 

「XXXであるべき」から「XXXすべき」まで、
存在から行動まで、心の中には何かしら「べき」で
定義された規範がありますよね。

  • どうしてそう思いましたか?
  • それはいつからですか?
  • そう思い始めた経緯を教えてください。
  • そう思った時の例を教えてください。


そんなことを問いかけると、
子供の頃とか、新人の頃とか、
結構、大昔の話になることも多いです。

 

こういうことを聞かれても思い出せないことも多い私は
皆さん、よくそんな昔のことを思い出せるな、と感心してしまいます。

 

そう思うと分かってくるのは、
「べき」
って、おそらく過去の自分が強制している、ということ。
「経験」と言い換えてもいいと思います。

「べき」と感情

「べき」は、取り扱い注意です。

 

歳を取れば取るほど、「経験」は増えます。

 

心に刻み込まれている「べき」
「経験」によって、裏付けされて、
より強固になっていきます。

 

逆に、「経験」が増え、反証も増え、
「べき」から、「その方が良い場合が多い」に
降格されるものもあるでしょう。

日常生活で、心にある「べき」に引っかかると、
ひっかかった反応として、様々な感情が、
心の中にふっと湧いてきます。

 

「イライラ」したり、「カチン」ときたり
「ありがたい」、「嬉しい」、「すごい」と思ったり。

 

特に困るのは、マイナスの感情で反応する時ですね。

これがあるから、最近、「シャドウ」で検索される方が
多いのかな、と思いました。

 

「感情」は反応です。
フッと湧くの自体は、正直、制御するのは難しいです。
思っちゃうものは、すぐには直らないと思います。(治らないわけじゃないので)

 

なので、「感情」を深掘り、観察することをお勧めします。

 

特に、「マイナスの感情」を感じた場合は、
深呼吸して深掘りしてみましょう。

 

そこに「べき」が居たなら、もっと深掘りしてみるといいです。
きっと何か理由があるはずです。
何かそう思う理由や、そう思う契機になった過去の経験があるはず。


それを問い直してみたら、「べき」を「そういう場合が多い」に
降格できるかもしれません。
場合によっては「そう思っていたけど、違うような...」なんて
パターンの時もあるかも。

それができたら、「マイナスの感情」が弱くなるかもしれません。

「べき」を「そうじゃない人もいる」にできるのも、
人が成長するということなのかな、と最近、思っていたりします。

 

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360度評価は報酬と連動してはいけない

360度評価。皆さんの会社では実施してますか?

その評価、人事評価として報酬に反映されますか?それとも実施、フィードバックを受けるだけで、お給料には関係ない話になってますか?

どちらでしょう。

360度評価のお話。

360度評価の問題点

巷で言われるのは、お互いに評価することになるので、評価全体がお互い様効果で歪められてしまう可能性が出てきてしまう点。

自分も同じ人に評価されることを考えたら、厳しい評価はつけにくくなったりする。

※360度評価自体の問題というより、この条件下では評価内容にバイアスがかかるので、実施の意味がないというのが正しいのかもしれない。

このような点を問題点とする意見を聞く。

360度評価の評価結果の傾向性

実際に実施した場合に、評価結果自体に傾向性が出てくることが確認されている。評価自体の精度に問題が出てしまうということである。

具体的には360度評価の場合、評価軸で提示されている指標全体が高めになる人、低めになる人が多発すると言われている。

ハロー効果というものがある。評価基準に関係ない人に対する印象が各評価軸に影響してしまう現象であるが、これに該当するのかもしれない。

注:過去の記事 

人事評価する時に気をつけたいこと - 心の解析メモ〜個人的心理学整理ノート〜

 

普段関わっている人の場合、その人に対する全般的印象が元々あり、いざ評価するということになって細かな評価軸がそれぞれ提示されていても、その評価軸に、その印象が反映されてしまうことは容易に想像できる。

その全般的印象が、仕事の中だけでの印象なら、妥当な可能性もゼロではないが、仕事外の付き合いもある人があったり、趣味が同じ人がいたり、性格が似ている人がいたり、でバラツキが出るので、形成された印象が仕事上の評価として正しいかは不明である。よって、この事象は恐らく、問題があるということになる。

 

360度評価を有効に使うには?

となると、双方、評価によって不利益が発生しないことを確認した上での評価が絶対的に必要ということになる。

その前提で、結果を活用することにより、確認の自己評価と、実際、他者から見てどうなのかのギャップを確認でき、評価者、被評価者がお互いに改善を期待できる。

人はそもそも放っておくと、自己評価は高めになりがちになると言われている。

その補正としても有用。

 

まとめてみて

あちこちで360度評価しています、というのを見かけます。

その360度評価の実施条件によって、有用性自体も変わってしまうんだな、と気づき、道具も使いようなんだなと思いました。

なかなか、率直に評価のような内容を言葉にするのは難しいですが、その直截な影響を外してあるかどうかで評価の内容自体が変わってしまうことは考えてみれば当たり前ではあるので、その後の挙動、目的が大事、というということですね。

 

 

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心理的安全性はチームに「絶対に必要」「最も必要」なわけではないかも?

最近流行りの「心理的安全性」。

どこでも、デメリットは聞かないのですが、
ものにはほぼ絶対に例外なく裏表があるものだと
信念を持って(笑)探したら、
やはり、向き不向きがあるという論があるようです。

心理的安全性のデメリットについて

 

心理的安全性とは

一言で言うと、「安心して率直に意見を発言できる状態」

 

特に「問題を指摘すること」や「他人の意見に異議を呈すること」、
「自分がわからないことをわからないと人に問うこと」などに
身構えなくても良い状態のこと。

 

特に昨今の様な「不確実性」の高い環境でビジネスをする場合は、この効果は大きいと言われる。

心理的安全性と「ぬるま湯」

心理的安全性のイメージは悪く取ると、よく「ぬるま湯」に例えられる。

いわゆる「ぬるま湯」との違いは、チームとしての「結果」を良くするために、

  • 個々のメンバーに対して「苦言」を呈する
  • チームのために問題の指摘をする
  • メンバー間の雰囲気の維持や、良い反応よりも、チームとしての結果を優先する

などができる点とされる。

心理的安全性の機能しない条件

心理的安全性の意味がない環境が「ぬるま湯」と
逆に考えることもできるが、


上記の通り、心理的安全性が機能する条件は
「チームのために、結果を求める場合」ということになる。

となると、機能しない場合はその逆になる。

 

例えば(その1)、「チームのために」が抜けて、強い個で動いていて、個々人が競争で動いている組織。


この場合、チームで動くことが重要視されないので、協力関係にならない。


心理的安全性が高くても、それは他人は「関係ない、放任」と同じことになるため、おそらく期待するような効果は出ない。

むしろ、放任されているので、動くのは個々人の自由という形になり、おそらくモチベーションも個々人次第ということになる。

逆に表現すれば、サボるのも自由、となる。

 

心理的安全性環境下では平均的にモチベーションが低下する場合があり、
それにより個人主義の場合には、チームで動いている組織に比べて
心理的安全性で得られる効果が出ない、という論文がある様です)

 

例えば(その2)、
「結果を求める」が抜けて、結果を求めず、プロセスのみを重要視する場合。

特に結果を求めないなら、チームの雰囲気や進めやすさを優先してしまうので、
これもやはり期待するような効果は出ないと考えられる。

 

まとめてみて

心理的安全性にも適用のジャッジが必要なんだな、と思いました。

 

組織を作りたてで、ルール等を決めている最中の場合、まずは何を目標とするか、という話になるかと思います。

 

その場合、チームがチームとして動けているなら、
心理的安全性を念頭に置いて、積極的に担保する方向に動いてもいいのだと思います。

 

しかし、チームがまだチームとして動けていないほど若い場合、
例えば、腹の探り合いや人となりを確認する作業をしている段階であり、チームとして動けていない場合は、直接的にチームとして動ける方策の方をまずは考えるほうがやはり良いのではないか、と考えました。

 

実際、体制を構築するとなったら、まずはXXXなチームになりたいとか、適宜、定義すると思うのですが、

その時に、どちらかというと、内向きの「心理的安全性」を先に気にするよりは、もっと外に向かって何かをコミットすることをチームとして考えていくほうが、結果的に心理的安全性の高い組織になれる気がしました。

 

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人事評価の科学。組織的公正について

人事評価は双方納得するのが肝ですが、なかなか難しいことです。

公平な評価であれば納得感もあるのでしょうが、それぞれ「公平」はきっと違いますよね。

日本のとある企業の調査結果によると、評価に満足しているのは4割程度なのだそうです。なかなかの低さです。

「組織的公正」について。

 

 

組織的公正の概念

内容を大別すると以下の2つで構成される。

  1. 分配的公正
    受け取った報酬、分配結果に対して感じる公正性のこと。
  2. 手続き的公正
    分配が決定されるまでのプロセス、手続きについて感じる公正性のこと。

他にも、「相互作業的公正」(上司、部下の間の関わり、コミュニケーションを公正と感じる)、「情報的公正」(情報が適切に開示されていると感じる)などがあるとされる。

最も影響するものは?

上記の大別した2つのうち、1の分配的公正は、同じ評価であっても個々人に捉え方が変わり、皆で合わせていくことはやはり難しいと考えられる。よって、基本的には2の手続き的公正を上げていくのが良いとされる。

つまり、評価プロセスに関与できるようにする、それぞれの関与度をあげるようにすること、それが大事。

手続き的公正をあげるには?

手続き的公正には以下のような条件が必要とされる。

  1. 評価精度を高める
    評価される側の業務をよく知っているものが評価すること、評価軸に偏りがないことなどに配慮する
  2. 仕事自体のプロセス、自律性
    仕事のプロセスについて裁量権を認め、進め方自体の自立性を高める。また、自分の得意な仕事など、仕事自体の選択を認める。あるいは、担当範囲について納得感を高める
  3. 評価者と、被評価者の間で十分なコミュニケーションが取られている
    仕事内容や、範囲に対する2者間での合意や、必要な援助の確認など
  4. 評価の結果をフィードバックする
    どういったことがその評価結果をもたらしたのか、などの開示
  5. 評価結果に対する申し立てができる
  6. 手続き自体が正常に働かなくなった場合などの変更ができる

以上の様な条件で、手続的公正は上げていけるが、評価プロセス自体をすぐに変えにくい、という場合もありうる。
その場合は、「相互作業的公正」(コミュニケーションに配慮)、「情報的公正」(適切に情報開示)などの対応を実施することによって、手続きプロセスを真正面から変えなくても手続き的公正を多少は高められるという研究結果もある。

そもそも評価される軸が企業によっても違うので、その反映が必要

上記の公正の観点以外にも、組織の価値観によって、A社とB社では当たり前が違い、評価軸が違うことが考えられる。この評価軸、価値観が評価プロセスに反映されていないと手続きに反映されていないことになり、手続き的公正の感じ方が低くなる、ということになる。

手続き的公正が高ければいいのか?

これについては問題がある場合もあるそうだ。

手続き的公正が高いということは、あらかじめ明確に決められた基準を越えれば確実に約束された報酬がもらえる、ということなので、これを好まないパターンの人がいる場合である。

例えば、リスクをとって、結果としてかなり好成績を収めるような、そういった行動を取る人材。この場合は好成績でも約束された報酬しかもらえない場合もあるし、決まったルールを好まない。

また、予め決められたわかりやすい評価で動くことがそもそも苦痛、退屈と思う人員、いわゆるリスク志向の高い人材はこの様な状況ではなかなか定着しにくい。

よって、新規事業を専門に行う部署や、ベンチャー企業など、リスクの高い環境によくいるタイプの人材についてはこの手続き的公正が高すぎる環境では難しい。

まとめてみて

評価関連として、「公正」について、まとめてみました。

何をもって、評価が公正と言えるのかについても人それぞれ確かに違うなぁと思いました。また、公正、明確なことが誰にとっても絶対に良い、というわけでもないということも目にしたので、思ったよりももう一段複雑な問題なのだな、、と思いました。

ほとんどの人に良さそうな話であっても、探せば、例外というものは見つかるものです。

良さそうだと巷で言われているものも、例外はないものかと肝に銘じておくと、発見があるのかもしれません。

 

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モノは言い様、捉え様

心理学や、組織(心理学)、それに関連したプロジェクト管理系の本を読んだりして、勉強し直しているわけですが、心理学って、ちょっと有名な、フロイトユングアドラーになると、途端に哲学っぽい感じになるんですよね。

なので、哲学の領域に少し足を突っ込んでいるのかもしれないなと思ったりします。

そうなると「言葉」というもので世の中をどう捉えるか、「言葉」ってどういうものなのか、ということになるのですが、こういう話を考え出すと、高校1年生になる前の春休みに蛍光マーカーを引き引き読んだ「ことばと文化」という岩波新書の内容が頭をもたげます。

思えば、この本は私が「言葉」で人は世界を捉えて現実を認識する、その現実は一人一人違うんだと考えるきっかけになった本でした。

もう、何十年も立っているので、この本の主張とは違うことになっているかもしれませんが、ことばと現実の話。

参考:

 

人は日々、その人なりの現実を捉え続けていて、それがその人を形作る

人は選ぶ言葉によって、周囲を把握している。主観的に捉え、その人の現実がつくられる。

その日々、捉え続けている現実が、そのうちその人の価値観になり、その人の世界になる。

例えば、以下のような言葉を聞かないだろうか。

  • 「XXXな場合は無視すればいいんだよ、自分はいつもそうしてる
  • 「気難しい顔をしている人は案外話してみると気さくだよ」
  • 「30分遅刻するなんて」
  • 「人のものは勝手に持って行ってはいけない
  • 「もう、約束の時間まで5分しかないよ」 

それぞれ、その人の過去の経験やその人から見えている現実ではそういうように見えているということ。常識も国や環境、文化が変われば違う。その人なりの常識も同じようなことになる。

 

自分をずっと否定されて育つ人は、そういう世界観で自分の周りを捉えてしまうから、自分に対する評価が低くなりがち。自己肯定感や自己受容度が低かったりする。


自分で何かを選んで行動した経験が少ない人は、自分で出来た経験がないから、自分を信じられずに、自己効力感が低かったりする。

 

自分に対する自己評価は、そのまま、その時の自分の行動や反応に影響する。

自分に自信がなければ挑戦はしにくくなる。できる気がしていないので、再トライをせず、何かを諦めることも早くなる。


相手が良い反応をしてくれると信じきれないから、相手がどう反応するか反応が返ってくるまで、あれこれ心配して考えてしまう。

 

足りない自己肯定感や効力感を埋めるために、他者への承認要求が強めになる。

 

その人の現実は、そうやって日々、形作られる。その人の行動も態度も表情もそうやって日々作られ、それが周囲の人から見たその人像を作る。

 

これが巷で言う「ひきよせの法則」とか、そういうことにも関連している気がしている。

人は「言葉」で現実を理解する

その現実は「ある」だけではその人にとって「ある」ことにはならない。

 

目の前にあるものや、目に見えない概念なども、ことばでラベルをつけて他と区別しなければ意識されない。意識されないのはほぼ「ない」のと同じである。

 

例えば、植物に興味のある人は駅の庭木もそれぞれ違っていて、違うものに見えているが、植物に興味がなくて種類がわからない人にとっては違いを意識しないし、わからない。同じに見えているので、違うものとしてはそこに「存在」しない。もしかしたら、庭木自体がそこにあった認識すらないかもしれない。

 

時間の概念も考慮に入れたら、記憶にない、覚えていないことはその人の現実としては存在しなかったのと同じこと。(そうはいっても他の人が覚えていたら「存在」したのは確からしいと言うことにはなるが、その人としては「存在」しない。モノは考え様で捉え様である。)

 

(家族は歳が妙齢なので、記憶力に若干、難があるが、自分が覚えてないことは「なかった」と言い張るので、困る。それも本人的には真実ではある……)

言葉は何かと比較する、条件を加えることで意味が明確になる

人は言葉を使って、その周囲を世界を捉えているが、「言葉」自体はどうだろうか。

例えば、「良いこと」と「悪いこと」。この世から「悪いこと」が全部なくなったら「良いこと」は定義できるだろうか。意識できるだろうか。

 

暴れん坊将軍は悪代官がいるから、勧善懲悪で成立するけれど、悪代官がいなかったら、ただの困った将軍かも?「善」のままでいられるだろうか。どんなシチュエーションでも問題ない、完全な「善」はきっと「存在」しない。

 

「素晴らしい」ことはいつでもどこでも同じ様に「素晴らしい」だろうか。その時、「素晴らしい」と思ったことも、今考えたらそうでもなかったり、他の人から見たらそもそもそうじゃなかったりしないだろうか。きっと、「素晴らしい」と思ったからには、その理由や背景があって、その時、その人が、その条件で「素晴らしい」と思ったはずで、絶対的「素晴らしい」はきっと「存在」しない。

 

さらに、「光」と「影」。「光」がなくなったら、「影」は存在できるだろうか。そんな概念は残るだろうか、定義できるだろうか。難しい気がする。

 

目の前に、そこに事実はある。

 

けれど、言葉にした時、その言葉はその言葉のその人なりの捉え様や言い様でさまざまに変わる。「言葉」だけに注目してみても何かと比較したり、条件を加えて比較するなどしないと「言葉」は意味をうまく持たない。名詞も「言葉」なので、それを「言葉」で説明する、認識するのに限界があるのかもしれない。

 

呟いてみてまとめ

実在論とか、実証主義とか、構造主義とか、哲学系の話題がアドラーなどをみていると出てくるので、言葉ってやっかいだなぁと中高生の時に思ったきっかけの本を思い出し、最近、学んだ心理学の分野の考え方も入れて頭の中の整理してみたものです。

ピンとくる同じ様な方もいらっしゃるでしょうし、こない方もいらっしゃると思います。

こういうものは後で見返したら、自分にも発見がある気がしたので、記録しておきます。。

 

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協調性が高い人は他者に厳しい(かも)

少し前に心理的安全性についてつぶやきを書きました。

その時、日本人は同調圧力が高めといわれるので、、と書いたのですが、その理由の一つかもしれないことも見つけたので、メモを記録します。

遺伝的にも原因があるかもしれない、というお話です。

 

その時のブログ:

心理的安全性とスクラム(チーム運営)、徒然なるままに… - 心の解析メモ〜個人的心理学整理ノート〜

 

 

最後通牒ゲーム

100万円があり、その前にAさんBさんの2人がいたとします。この2人で100万円を分けるとき、Aさんに取り分の割合の提示権を、Bさんにその承認/拒否権を与えます。

Aさん提示の配分割合にBさんが承認を行った場合にのみ双方、そのお金が受け取れます。Aさん提示の配分割合にBさんが否決をした場合は双方、お金が受け取れません。

双方、バランスを取ることが求められるわけです。
このルールが「最後通牒ゲーム」といわれるそうです。

最後通牒ゲームの結果の傾向

最後通牒ゲームでの配分について、実際に実験をすると、Aさん役提示の配分割合が半分(5:5)なら、ほぼ拒否権が発動されることはなく、双方、お金が受け取れます。
配分割合に偏りがある場合、つまりAさん役が自分の分を多めに取ろうとした場合に、Aさん役(配分割合の提示する側)が自分の取り分をある一定の割合※にするまでは、Bさん役(承認する側)は承認するそうですが、Aさんの取り分がその割合を超えてしまうと、Bさん役が拒否する確率が8割を超え、それまでの拒否権発動割合と逆転するそうです。

※実際にはこの場合、7割、7:3あたりが分岐点になるそうです。

 

 Aさん役が自分の取り分としてそのある一定の割合以上を提示する場合、つまり、極端な偏りがあって、公平でない、その差分は許せないと感じる場合、ほとんどのBさん役の立場の人は承認しない、拒否権を発動するということです。拒否権を発動してしまえば、全くお金がもらえないのに、です。

Aさん取り分の配分が全取り(10:0)でもない限り、これ自体はとても非合理的に見えます。拒否権を発動しなければ、少しだけでも自分も取り分をもらえるのですから。

なぜBさんは非合理的な行動をするのか

ここで、Bさん役の拒否権の発動の傾向については、ばらつきがあったのだそうです。

少々不公平な割合でも合理的に妥協して、承認をするBさん役と、損をしてでも拒否権を発動してしまうBさん役との違いは何か、という点について、従来はその人個別の「攻撃性の高さ」が原因ではないかと考えられてきたそうです。

ですが、これを心理学で代表的なパーソナリティを分析する性格検査を行なって確かめたところ、そうではなく、拒否権を発動しやすいBさん役については「協調性の高さ」が共通点だったのだそうです。

つまり、協調性の高い人は、基本的に個人の利益よりも集団の利益を優先するので、自分が損をしても拒否権を発動し、不公平な事態を許さないという行動をとっていると考えられます。

逆に表現すると、協調性の高い人は、不公平や他者に厳しいと言えるということになります。特にまじめで日々努力をしている人ほど、それを他者と比べて、不公平を感じることになるので、他者に厳しくなりやすいのではないかと思います。

おまけ:協調性の高さは遺伝する?

この時、協調性が高い、先ほどの実験で拒否権を発動しやすかったBさん役の人は脳内にも特徴があったそうで、脳内の「セロトニントランスポーター」というタンパク質の密度が低かったそうです。

セロトニントランスポーターの密度が高いと楽観的な判断をする傾向があることがわかっており、これが低いということはこの人たちは悲観的な判断をする人たちで、その結果、勤勉で準備を怠らない人たちということになります。
協調性と、このタンパク質濃度が低い件と、どちらが本当の原因か2つともなのか、は正直、ちょっと腹落ちしませんが、このような人たちが前に述べたゲームでは非合理的な行動に出るわけです。矛盾はしてない、と思います。

このセロトニントランスポーターの濃度は影響する遺伝子が判明しており、S型L型の2種類の方の組み合わせで決まり、SS型が最も低くなるそうでです。

日本人はこのSS型の保有率が世界の中でも高く、7割近くが該当するそうです。LL型は2%しかいないそうです。となると、低い傾向を示す遺伝子の保有率は98%となります。こんな確率なのは日本以外にはないそうです。

つまり、日本人は98%の人が遺伝子的に悲観的に考える素養を持っていて、協調性がおそらく高い人が多く、これは世界の国の中でも特異なことであるということになります。

 

終わりに

少し前に勉強した内容について、関連した内容を見かけたので記録してみました。

私なりに印象的だったところの記録と、自分なりの解釈も入っているので、細かい内容が気になる方は、以下の本をぜひ。

 

この記事が気になった方はこちらをぽちっとしていただけると、記事の傾向がきっと少し変わります。。。

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