心理的安全性はチームに「絶対に必要」「最も必要」なわけではないかも?
最近流行りの「心理的安全性」。
どこでも、デメリットは聞かないのですが、
ものにはほぼ絶対に例外なく裏表があるものだと信念を持って(笑)探したら、
やはり、向き不向きがあるという論があるようです。
心理的安全性のデメリットについて
心理的安全性とは
一言で言うと、「安心して率直に意見を発言できる状態」
特に「問題を指摘すること」や「他人の意見に異議を呈すること」、「自分がわからないことをわからないと人に問うこと」などに身構えなくても良い状態のこと。
特に昨今の様な「不確実性」の高い環境でビジネスをする場合は、この効果は大きいと言われる。
心理的安全性と「ぬるま湯」
心理的安全性のイメージは悪く取ると、よく「ぬるま湯」に例えられる。
いわゆる「ぬるま湯」との違いは、チームとしての「結果」を良くするために、
- 個々のメンバーに対して「苦言」を呈する
- チームのために問題の指摘をする
- メンバー間の雰囲気の維持や、良い反応よりも、チームとしての結果を優先する
などができる点とされる。
心理的安全性の機能しない条件
心理的安全性の意味がない環境が「ぬるま湯」と逆に考えることもできるが、
上記の通り、心理的安全性が機能する条件は「チームのために、結果を求める場合」ということになる。
となると、機能しない場合はその逆になる。
例えば(その1)、「チームのために」が抜けて、強い個で動いていて、個々人が競争で動いている組織。
この場合、チームで動くことが重要視されないので、協力関係にならない。
心理的安全性が高くても、それは他人は「関係ない、放任」と同じことになるため、おそらく期待するような効果は出ない。
むしろ、放任されているので、動くのは個々人の自由という形になり、おそらくモチベーションも個々人次第ということになる。逆に表現すれば、サボるのも自由、となる。
(心理的安全性環境下では平均的にモチベーションが低下する場合があり、それにより個人主義の場合には、チームで動いている組織に比べて心理的安全性で得られる効果が出ない、という論文がある様です)
例えば(その2)、「結果を求める」が抜けて、結果を求めず、プロセスのみを重要視する場合。特に結果を求めないなら、チームの雰囲気や進めやすさを優先してしまうので、これもやはり期待するような効果は出ないと考えられる。
まとめてみて
心理的安全性にも適用のジャッジが必要なんだな、と思いました。
組織を作りたてで、ルール等を決めている最中の場合、まずは何を目標とするか、という話になるかと思います。
その場合、チームがチームとして動けているなら、心理的安全性を念頭に置いて、積極的に担保する方向に動いてもいいのだと思います。
しかし、チームがまだチームとして動けていないほど若い場合、例えば、腹の探り合いや人となりを確認する作業をしている段階であり、チームとして動けていない場合は、直接的にチームとして動ける方策の方をまずは考えるほうがやはり良いのではないか、と考えました。
実際、体制を構築するとなったら、まずはXXXなチームになりたいとか、適宜、定義すると思うのですが、その時に、どちらかというと、内向きの「心理的安全性」を先に気にするよりは、もっと外に向かって何かをコミットすることをチームとして考えていくほうが、結果的に心理的安全性の高い組織になれる気がしました。