心の解析メモ〜個人的心理学整理ノート〜

ビジネス&普段に役立つ心理学

次に何をしたいかわからないほど、お疲れの時は

IT屋の端くれなので、基本的にはプロジェクトベースでお仕事しています。

プロジェクトベースなので、その現場・立場によってはかなりハードになることもあり、燃え尽きちゃうこともあります。そんな時、次にどんなことをしたいかと問われても、おそらく疲れ過ぎていて、?となることもあった気がします。

最近の私はこういうふうにならなくなってきているので、最近、若手のエンジニアがそうなっていると言っていたのを聞いて、懐かしいなと思って聴きました。

 

いわゆるモチベーションが低くなっているということもあるのだと思いますが、一番にはやはり疲れている、と言うことに尽きる状態の場合。休めば思いつく時もあります。

が、会社員していると、休んだ後には仕事がないといけないわけで、休む前に鞭を打って何をやりたいのかを申告して置く必要もありますよね。

 

そんな時は、例えるなら、心の引き出しを引いて中を覗こうにも引き出しを引く気力がない、ということなのです。
ならば!引き出しを引いてみるところだけ、別の方にお願いすればいい。

実際、問いかけをしてみたら、少しぐらいは次への希望が出てくることがほとんどなので、こんな時に「コーチング」を使ってもらえるといいと思います。
(この場合のコーチングは、気力が足りるなら、セルフコーチングのスキルを使っても可)

 

コーチの方がどういったコーチングを提供しているのかにもよりますが、思考法などを応用して考えの整理をしてくれるようなコーチの場合は引き出しを引いてもらう手助けをきっとしてもらえます。

そんなふうにコーチを使ってもらえたら、きっと有意義な時間が過ごせる気がしたので、是非、燃え尽きちゃったら、お試しを。

 

この場合に役に立ちそうなセルフコーチングはその時、思い出せたら誰かの役にたつかもしれないので、考える助けをどこかで、まとめておきたいと思います。

 

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「組織」を考える

組織って、ありますよね。

皆さんの周りにある企業で1年に1回は組織変更してる、なんてところはありませんか?その度に名刺が変わったりして。

コストのかかる話でもあるので、そんな話を聞くたびに、どうしてそんなに頻繁に組織を変更するのかと、とても不思議に思っていたことを思い出します。

純然たる心理学とは少し外れますが、組織心理学の分野ではどうしても重なるので、
組織の分類について、まずは整理してみます。

これを整理したら、次はこれをシステム開発のプロジェクトに応用したらどうなるか考えてみようと思っています。

どうなるかな……。

組織の形を分類

組織観というものもあるが、組織図の形について、分類してみる。

  1. 職能制組織

    営業や、製造など、各専門知識を持つ人をまとめて、組織を作る。イメージ的にはボトムアップ。ルールやマニュアルに従えない、想定外の自体が起きた場合は、この場合、管理者である社長に意志決定をお願いすることになる。


    <メリット>
    ・組織全体での最適化が図れる(中央集権)

    <デメリット>
    ・扱う商品の製品分野が違って、営業や、商習慣など流儀が違うものがある場合、全体最適を目指す方が難しいので、却って不効率になる
    ・社長が扱う商品の事情に精通していないと意思決定に問題が発生する

  2. 事業部制

    事業部、例えば対応する製品分野などで、組織を作り、その製品分野専用に営業、開発などの専門知識を持つ組織を配置する。

    1の職能制とは違い、既存ルールでは対応できないような、想定外事象があった場合、事業部制では各事業部に権限が移譲されているので、事業部長が意志決定を行うことになる。


    <メリット>
    ・事業部に権限移譲されているため、社長まで意志決定を回さず、機動的に現場対処ができる
    ・事業部ごとの評価に共通の評価が使える(売上金額など)
     ※職能制の場合、営業と開発部門は同じ尺度では評価しにくい

    <デメリット>
    ・いわゆる「組織の壁」が発生する
    部分最適になり、全社の視点で、物事を考えることが少なくなる

    → こうみると、1と2では権限移譲がポイント、ということがわかる。

組織と意思決定

通常はルールやマニュアルがあって、それに従って業務をするようになっているはずだが、その例外があった場合に、意志決定を他に求める。(その際、どこに意志決定をお願いするか、が組織によって変わる)

意思決定量が多くて、意思決定する側が回らなくなってくると、次に考えるのは目標(方針)をあわせておき、現場判断で動ける部分を多くすると言う形になる。
*1

それでも厳しい、やはり意思決定に課題があると言う場合に、どんな方策があるかと考えると、大きく分けると2つになる。

①意思決定量をもっと多くこなせるように工夫する
②意思決定の局面が起きないような方策を工夫する 

①意思決定量を増やす方策(=情報連携、管理を効率化する)

  1. 情報システムなどIT化して、意思決定をスムーズにする
  2. タスクフォースを作る、横連携担当をおくなど、調整や情報共有を最適化して意思決定をスムーズにする

②意思決定の局面を減らす(=現場でどうにかできる)

  1. 期待水準を下げる
    期待水準が比較的高くなければ、期待水準に満たない可能性がある場合の意思決定局面を減らせる(=エスカレーションを防げる)
  2. 使えるリソースを現場に用意する
    期限の余裕や、費用の余裕を持たせること、現場で足りない人員や機能があればそれを専用に用意して、余計な調整等が発生しないようにする

意思決定に課題がある時の選択肢の選択について

意思決定に課題がある場合、おおまかには4つ方策があることになるが、実際にはどれを取るかとなると、現場では①だと、2:タスクフォースなどの組織を入れて情報連携をスムーズにする、②だと、1:期待水準を下げる という選択を取ることが多い。コストが比較的低いからである。

選択根拠としては無理がないが、②−1を多用すると、緩い組織になってしまう。①−2を多用すると結局、管理側人的のコストが大きくなるので本末転倒になったりして問題が発生、組織変更が必要になる。

組織を規定するときにどう意思決定・情報連携を行っていくか、何を重視するかということを考え、分割と、統合のバランスを考えていく必要がある。

まとめてみて

もともと、心理学を学ぼうと思ったのも、組織の管理や人に課題感を持っている、というのが理由でした。

何となく、組織についてはその中で仕事をしているので、肌でわかってもいたし、知ってもいた(現場にいれば何となくわかる)が、改めて整理して学んでみることで、腹落ちしてくることや気づいたことが複数ありました。

例えば、組織の意思決定については階段状に登っていく形※になるので、そう思えば、マニュアル化・標準化も意味があると思えました。過去、そう思わないという人もいて、その時はそういう考え方もあるかと当時は思いましたが、、その時、見方と切り口を自分なりに考えるべきだったなと反省しました。
※1:ルール化 →  2:組織エスカレーション →  目標設定、方針設定 → 組織に手を入れる(方策適用)

これを日頃、目にしているITでのシステム開発のプロジェクトに引きつけてみると、また自分なりの発見があるような気がするので、それを整理してみたいなと思います。

 

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*1:最近、こういう話が多い気がするのは、それだけ先が読めなかったり、速かったりして、マニュアル化できない問題が多発していると言うことだと思われる

心理的安全性とスクラム(チーム運営)、徒然なるままに…

現場エンジニアの技術支援的な立ち位置で仕事を長くしていたこともあり、15年以上前からコーチング自体は折に触れて、継続的に細々と学び続けていました。

立場上、エンジニアさんが困ったり迷ったりしたことを躊躇なく話してもらうこと、その上で私自身が詳しくない分野でも相談相手になれることを必要としていたからです。

当時は勿論、スクラムでは無かったけれど、今思えば、立ち位置としてはスクラムマスタに近かったかもしれない。それゆえか、今もスクラムマスタに近いような立ち位置で仕事の依頼が来ます。(でも、プロジェクトはスクラム適用ではないことも多い……)

昨今流行りの「心理的安全性」と言う言葉を聞くと、ちょっと意味合いが違いますが、当時の課題を思い出します。時代が追いついたのかしら……? 

今日は、学んだことをまとめるのではなく、個人的な所感として、
プロジェクト管理(スクラム適用)と心理的安全性について考えて記録しておきたいと思います。

雑多な所感のつぶやき記録です。

 

 

スクラム適用でのシステム開発

よく、ウォーターフォールとの対比でプロジェクト管理手法として比較されるが、、スクラムはチームビルディングメインの組織運営手法であって、所謂、プロジェクト管理手法というのとはちょっとだけ切り口が違うんじゃないだろうかと正直思っている。

確かにスコープ等の管理ルール面だけ見れば、対比できる程度の違いはあるが、要件やスケジュールの管理ポリシーが違う(=スクラムは実測を重んじる)から管理方式が違うだけで、管理方式や細かいルール自体はスクラムの肝ではないと感じている。

スクラムは手法というほどルールもTipsも正直、多くない印象。
そういう細かいルールを沢山作らずに、チームメンバ全員、一人一人が同じ価値観、管理ポリシーで合理的に行動できるようにし、そういうメンバの集合体としてチームが機能することを目指していて、そのチームが動くことで、結果的に目標のシステムが構築されていく、という感じじゃないかなと。

個別の構築プロジェクトに限った話ではなく、編成されたチームを能動的なチームとして育てていくのをイメージすると、チームの雰囲気や方向性、組み合わせ具合、協働具合はとても大事だと思う。

心理的安全性と効率、合理性

例えば、年齢、力量、立場関係なく、他者の視点を意識することなく、自分自身の考えをそのまま発言出来る環境はとても合理的だと思う。

力量や得意なことが違うエンジニア同士が共同で動くので、それぞれ気がついたことは何も忖度せずに、表現も必要以上に気をつけずにカジュアルに物がいえる環境の方が効率も質も上がるだろうし、何より、精神労働は無い方がパフォーマンスは出やすいはずだから。

また、チームの中で自分が何が得意で、チームの何に貢献できるというのが明確に自分からも他者からもわかっているのも心理的安全性には貢献するかもしれない。

チーム運営からみてもタスクを分業しやすく、合理的だし、自他共に認める自信を持って、できる役割があり、チームに貢献できることが明確なこと、それ自体が、きっと個人が様々な行動を起こす時にプラスに働く。
鶏・卵な話になってしまったけれど、これが心理的安全性にも寄与すると思う。(思ったことを発言しやすいことも、指摘すること自体がチームへの貢献だと思えば、同じことかもしれない……。)

心理的安全性と言えば、発言のしやすさ。
発言する時の障壁を具体的に想像して

人が複数の人の前で発言する場合、どんな気持ちになるかを考えてみて、心理的安全性に何が必要か考えてみる。

以下のような気持ちになる(かも)。

  • 間違ってたらどうしよう?
  • 馬鹿にされたらどうしよう?
  • うまく伝わるか?
  • 否定されたら・・?
  • 意見が自分だけ違ったら?
  • 気を悪くする人がいないだろうか?
  • そもそもわかるはずがない・・・けど・・・。

こういうことがなく、忖度なく発言できる環境が心理的安全性が高い環境というのだろうと思うが、そうはいっても人それぞれ環境の評価も自分への許可の出せるレベル・切り口も違うかも。
→人それぞれ、「心理的安全性」に対するハードル条件、見方が恐らく違うので、その条件の整理も必要。どうだったら話せるか、何に遠慮するのか。

→自分がどういう考え方をしやすいかを各個人がわかっておくことも大事。
(自分で自分の気持ちの理由に気づけるので、自力で持ち直せる)

 

日本は組織の同調圧力が文化的に高いと言われる。元々、異議申し立てをするような意見が言いにくい土壌があり、「誰が言ったか」ということがその後の反応に跳ね返ることも多い気がする。
→反応も怖い(=評価される)が、意見が違うこと自体の安心感も要る。

 

言い出した人間が問題を収拾することになるのだから、ギリギリまで言わないよね、と、昔、職場では言って笑っていた。事実、その覚悟で行かないと、異なる意見が言いにくい。
→周りに頼れる、と言う安心感もきっと要る。意見を言うこと、それ自体がチームへの貢献となるという見方も必要。

最後に

現時点での記録のために、記載しておいてみました。

また、振り返ってみて、その時に思うことと比べてみようと思っています。
最近、心理安全性についてもいろいろな切り口の本が出てきているので、数冊読んでみて、また、考えてみたいと思います。

 

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マズローの欲求階層説(自己実現とモチベーション)

こんな図をみたことがありませんか?

マズローの「欲求階層説」で、図示されるものです。(多少、訳語の問題で文字は表現が違ったりしますが……)

細かいところが気になったりもしたので、自分なりにまとめてみます。

 



 

欲求階層説の概要

「欲求階層説」はマズローが発表したもので、当初は5段階。

人間の欲求は、階層状になっていて、下位のものが満たされると、その上位の欲求が出てくるいう考え方。

例えば、喉が渇いて水が欲しいという状態(1:生理的欲求)の場合、それが満たされると、次に身の安全が気になる、安心したい、と思う(2:安全の欲求)ようになる、という具合。

より下位のものほど、それがないと緊急性が高く、より基本的な欲求といえる。

理論がわかりやすいからなのか、マーケティング経営学など、色々なところにこの考え方が応用されている。

一つ一つの細かいところは次の通り。

1:生理的欲求

いわゆる衣食住含む、食欲や睡眠欲など、生物としての基本的な欲求。

2:安全の欲求

身の安全。危険がない状態、安心の欲求。生きていくのに必要なものを安定的に維持したいという欲求。

安心して暮らしたい。

3:所属・愛の欲求(社会的欲求)

友人、会社、組織などから受け入れられる、所属したいという欲求。

人と一緒にいたい、人を愛したいなど、人間関係で、一言で言うと「人と繋がりたい」という欲求。

これが満たされていない状態だと、孤独感や社会的不安を感じるとされる。

4:承認の欲求

認められたい、尊重されたい、という欲求。

他者から認められること(出世欲などもこの一つ)はもちろん、自分で自分を認めることも含む。自己肯定感、効力感を高くすることで満たされることもある。

これが満たされない状態は、自尊心が低い、無力感・劣等感などが生じているとされる。
一つ下位の「社会的欲求」が満たされていて初めて、発生する欲求でもある。

他者から認められることを低次、自分で自分を認めることを高次と分類する場合もある。

5:自己実現の欲求

自分が思う、あるべき自分になりたい、という欲求。自分らしい働き方、生き方を実現したいという欲求。

人それぞれにこの定義はあると思われる。

モチベーションを関連させると?

モチベーションを切り口に、この5段階を大きく2つに分けると、1〜4は欠乏欲求(D欲求/D動機:Deficiency)、5は存在欲求、成長欲求(B欲求/B動機:Being)と分類される。

欠乏欲求はそれが欠けている場合、外部から働きかけが可能な欲求であり、それが満たされるとその欲求はモチベーション(動機)の元にはならないという特徴がある。

例えば、仕事をする動機に何があるか、を考えるとわかりやすい。もっと静かな部屋に住んでゆっくり眠りたいと思っていた場合、それをモチベーションに仕事をすることができるが、報酬が上げられて、それが満たされたら、欠乏がなくなるので、それをモチベーションに仕事をすることは難しくなる。
また、上記のように1:生理的欲求は報酬で満たすこともできるし、4:承認欲求なら褒めるなどでも満たすことができる欲求なので、外部からの働きかけが可能であることもわかる。

5の存在欲求、成長欲求については、外からの働きかけが難しく、マズローによると、モチベーションには関連しないとされ、人の長期にわたる「発達」の問題であるとしている。つまり、1−4とは別格ということである。

自己実現はその人の人生観や、存在証明に関わる内容なので、外から働きかける(=動機づける)のは難しく、また、実現するスパンもとても長い。
(図をみると下位の欲求から上位にかけてそれぞれ、満たすのに少しずつ時間がかかるようなものが多くなっているイメージであることがわかる。)

また、下位の欲求から満たされていくということになっているが、時に例外となるような人もいたり(衣食住な生理的な欲求よりも他者からの承認や自己実現を優先する人もいる)する場合もある。段階が5でいいのか、という議論もあるようであるが、マズローは厳密に検証されたものとしてではなく、ある種、モデルというか物の見方としてこれを提示しているという。

まとめてみて

以上を踏まえて、自分なりに図示してみたら、こうなりました。

組織を運営する際に、環境条件(=労働条件、衛生要因)の改善は組織からの離脱、不満を防ぐことができる(マイナスからゼロにする)が、それがその組織に積極的に所属する理由にはならず、満足させることはできない(ゼロからプラスにすることはできない)と言われます。これをみれば、そうか、、納得と思いました。

会社では、4を満たすことまでができることで、5は難しいとした研究者もいるそうです。5を満たすのはその本人の自己実現、人生観などに左右され、極端な話、仕事とは別に自己実現の手段を持っている人などもいますし、それを考えると、会社としてはやはり難しいと考えることも素直かなとも思います。

また、マズロー自己実現は動機付け(=モチベーション)とは関連しないとした点は、自己実現は一生かけて実現させていくような性質のものであり、比較的短期をイメージするモチベーション、やる気とは少し離れてしまうので、モチベーションとは関連しないと言うことなのだと思いました。(欲求というより、成長、発達課題と言え、「日々のモチベーションを積み重ねて長期的なキャリアを築く」と考えるとモチベーションとは確かに少し違うかなと思われる)

マズローはのちに、5:自己実現の上に、6:自己超越というのがあると提唱したそうです。人口の2%程度しか辿りつかないとも言われるらしいですが、どんな人が該当するのでしょう…。

 

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自分なりの現実を哲学してみる(アドラー心理学を復習して)

アドラー心理学ってきいたことありますか?
8、9年前に流行した「嫌われる勇気」という本の元になった心理学領域です。

海外では、フロイトユングに並んでアドラーが有名どころなのだそうです。

内容は正直、どちらかというと哲学寄りのような気がしてますが、暫くぶりに本を取り出して読んでみました。

借りてくると、生きるのが楽になるかもしれないところだけ、つまみ食いでアドラー心理学について、メモしてみます。

 

 

目的論

アドラーでは基本的に「目的論」。フロイトなどのように過去の出来事が今の自分を形作ったとは考えない。よって、トラウマは否定。

全ての人は何か目的があって、理由があって、今、そういう状態になっている、そう行動していると考える。また、その行動は本人なりの善(マイナス→プラスへ)に向かって行動していると考える。

極端な例を挙げると、引きこもりの人は、引きこもる目的があって引きこもっているのであって、他者や環境によってそうさせられているということではない。と考える。

こう考えれば、自己責任にかなり寄り切った感じでイメージすれば近いのではないかと思われる。

 

課題の分離

課題の分離についても、先ほどの例を考えるとシンプルである。ある行動を選択した場合に最終的に結果責任を背負う人が課題の持ち主である。それ以外の第3者は支援しかできないし、するべきではない。

前の例だと、引きこもり本人が引きこもった結果の全責任を負うので、この引きこもりという課題は本人のものである。それをみて悩んでいる親がいても、親がこの結果責任を直接負うわけではないので、親にできるのは本人が望んだときの支援のみということになる。これを逸脱して、土足で踏み込むようなことをすると、本人にとっても親にとっても苦しく、不幸であり、衝突が起きる。

勇気づけ

上記の例の時の「支援」の提案にあたるのが「勇気づけ」。一般的にいう「勇気づける」というのとは違い、ヘルプが必要ならしますよ、という声かけのようなものを指す。

最近よく聞く、サーバントリーダーシップにも近いかもしれない。

人が持つ悩みのすべては「人間関係」

どんな悩みも他者がいて初めて成立するので、その他者がいなくなったら、悩みというものは意味がなくなってしまう。

よって、全ての悩みは人間関係と言える、ということ。

例えば、「劣等感」。これは、個人的悩みに聞こえるが、そうではなく、人と比べて自分を自分で評価して、劣っていると考え、悩むことなので、自分がそれを劣っていると考えなければ、悩みにならない。

コーチングでも手法としてあるが、リフレーミングして本人の捉え方を変えてしまえばその悩みは悩みではなくなってしまう。

例えば、「臆病で行動が遅い」、ということが劣等感で、コンプレックスと捉えている人Aさんがいたとして、他者がそのAさんに対して「Aさんは、繊細で慎重なんですね」と評価する。

Aさんの同じ性質に対して、どう捉えるかで表現・評価は一変してしまう。つまり、人からどう思われていると本人が考えるかで、劣等感は生まれるということになる。

このように考えると、全ての悩みは「人間関係の悩み」ということができる。

 

本を読みながら、思い出してみて考えたこと

自分以外の他者と過去は変えられない。よって、自分か未来を変えるしかなく、行動の結果は自分で負う必要がある。

考えてみたら、当たり前の話ではある。

事実は一つしかないけれど、現実は人それぞれの見方、捉え方で変わる。

例えば「赤」という人によって捉え方が違わないように見える色の定義も、実は、持って生まれた目の違いでピンク気味に見えている人も、赤に見えている人も居るそうだ。それでも、皆、自分なりの赤を「赤」だと定義して、「赤」と呼んでいる。

他者と比べて、差のなさそうな色名でさえ、そうなのだから、人の頭の中を他者が見て見比べられたら、きっとその人なりの現実が人の数分ある。その現実を言語化するときに使う言語もそれぞれ人の数分レパートリーがある。

言語化して初めて、概念は存在できると聞く。
例えば、明治期までキリスト教の「恋愛」にあたる概念は日本にはなかったので、日本語訳ができず、造語で作ったという話がある。つまり、そういう概念がなかったので、名前がなかったということである。名前がなかったなら、意識しないので、存在しないのと同じである。

言葉を選んで言語化することは、その言葉を選ぶことによって、対象に対しての自己評価もするし、その個人の現実を定義するということでもある。(現在の私なりの結論)

 

考えてみて、思ったことのまとめメモ

人が何かの事実を自分なりに捉えるとき、どういう言葉でそれを表現するか、が大事だなと読み返してみて思いました。

色々な文脈で出てくる話でコップに入っている水を「半分も入っている」と表現するか、「半分しか入っていない」と表現するかによって、捉え方が違っているという話があります。捉え方が違うのだから、そこから見える現実は人それぞれ。

自分が悩んでいることは他の人から見たら、悩むことはないかもしれない。

悩んでいる、悩むべきポイントが実は違うかもしれない。そこに自分で気づけたら、少しは悩みを解決する一助になるのかもしれません。

私はそのために心理学や哲学を学んでいるのかもしれません。

誰かのお役に立てることを祈って。

 

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能力に限界は決まってるから伸びない?能力観について

自分の持っている能力って、伸びるものと思いますか?伸びないものと思いますか?

どちらでしょう?

伸びるものだと思うか、持って生まれたもので伸びないと考えるか、で人はそもそも違う反応を示すそうです。

能力観についてのお話。

 

達成目標理論(Diener & Dweck, 1978 ,1980)

能力観そのものに関連する理論がある。Dweckは知能觀(能力をどう捉えるか)を以下の2つで定義した。

  1. 増大理論(incremental theory)
    能力は伸ばすことができると考えている。そのため、「学習目標」(新しい能力を身につけ、能力を伸ばしたいという目標)を持つ。

  2. 固定理論(entity theory)
    能力は固定されており、変えられないと考えている。そのため、「遂行目標」(能力について肯定的な評価を得たい、否定的な評価を回避したいという目標)を持つ。

1:増大理論を適用している人、局面

能力は伸びるものだと捉えているので、努力して何かができるようになった時や、理解できるようになったことに対して、価値をおき、自己評価する。

何を学べるか、何を学んだか、成長できたかに注目する。学ぶことには時間がかかることを理解している。といった特徴を示す。

→自分の能力に対する自己評価が高くても低くても、諦めずに挑戦する傾向がある。

2:固定理論を適用している人、局面

能力は伸びない、固定されていると捉えているので、その持っているものが如何に評価されるかに関心がある。

物事や行動、能力に対して、それが正解か、誤りか、良いか、悪いか、結果に注目する。努力したかなどのプロセスは関係なく、間違いのないこと、他者と比べて簡単にできること、などに価値をおき、自己評価する。結果的に常に緊張感を持つ、成功すると優越感を感じるといった特徴を示す。

→自分の能力に対する自己評価が高い場合、諦めずに挑戦できるが、低い場合はすぐに諦めてしまう傾向がある。

3:これをコーチングや人材管理に応用する

例えば、評価する、褒める時に差が生まれる。

  • 増大理論の知能觀で評価すると?
    プロセスを大事に努力や、工夫、などについて評価して、褒める
    →結果がどうであれ、行動(=自分でコントロールできること)に対して評価され、それを続けようというモチベーションが働く。

  • 固定理論の知能觀で評価すると?
    プロセスに関係なく、結果、成績、能力など結果について評価して褒める
    →持っている能力、結果(=場合によってはコントロールできない)によって評価されるので、評価に一喜一憂する。うまくいかない時に次に行動や努力をしようというモチベーションになれず、前向きになりにくい。

まとめてみて

固定理論を取るよりは、増大理論を取る方が努力のしがいもあるので、やる気が維持されるとは思うが、その際に自分がどのような考え方をもっていて、どう評価しているのかをまずは自覚する必要があるな、と感じました。

管理職の場合、自分がどのようなフィルタでものを見ているか(XX観)によって、評価する箇所も内容も軸が違ってくるので、他者に対するフィードバックも結果的に違ってくることになり、評価された他者もその認識や評価軸を合わせてしまうので、それが人に与える影響は大きい。

こういったことが他人の物の考え方自体に影響を与えると考えれば、職場の環境というものの影響は思ったよりも大きいと肝に銘じなければならないですね。

皆さんは人を褒める時、どんな褒め方をしますか?ご自分の能力觀がどちらに近いのか、褒め方から振り返ってみませんか?思ったよりも固定理論かもしれませんよ。

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シャドウ……?

「シャドウ」って聞いたことありますか?

「ゴールデンシャドウ」とか、「ダークシャドウ」とかおっしゃる方もいらっしゃるようです。出典はなんなのだろうと思っていたのですが、ユング心理学に「シャドウ」自体は出てきます。

こういうことか、と思って聞いてみると、発見があるかもしれません。

 

コンプレックス……?

日本人の場合、「コンプレックス」と聞くと、「劣等感」を最初にイメージしてしまいますが、意識的にしろ、無意識的にしろ、心の中の葛藤のような動き、引っ掛かりのような、わだかまりのようなものを指すようです。

シャドウ(影)とは?

人は無意識から、意識へと自我が生まれて成長していきます。その時、自我として選択されなかったものが無意識の中に選択されなかった片割れとして、残っていきます。その一つ一つがコンプレックスとして無意識の中に眠っていて、その集合がシャドウという定義になるようです。

シャドウは無意識の中にあるので、普段は意識しないですし、見えません。

シャドウ(影)が意識できる時

シャドウが意識されるのは、例えば「影の投影」という事象が発生した時。

他者が取った行動に対して、嫌だと思ったり、腹が立ったり、イライラしたり、いいなぁと羨ましく思ったり、憧れたり、眩しく見えたりした時、それは自分の心の中のシャドウに触れた時。

例えば、同僚のAさんが何か嫌だ、と思うのであれば、それは自分自身にも(自己評価で)少しは何か似たような要素があって、それを自分は気にしているのに、A さんはそのまま出しているように見えているから、腹が立つのだ、と考える。

逆に、近所のBさんが何かいいなぁ、と思うのであれば、(自己評価で)自分も同じにできるとは思っていない状態だが、何らかのそう思う要素が自分にもあるから、憧れるのだと考える。

どちらも、自分の心の中に引っかかりのある何か、素養がそもそもなければ無関心なので、心は動かないはずだが、+方向にしろ、−方向にしろ、心が動いているので、何かしら自分にその要素が無意識にでもあって、それが投影されていると考える。

これをどう使う?

自分の気持ちが動いた時に、何に反応したのか、を掘り下げてみることで自分が本当は何を望んでいるのか、価値を置いているのは何なのか、の手がかりにできる。

自分が本当に何を望むのかがわかっていたら、人生で比較的大きな選択をする時にも少しは助けになるはず。

アンガーマネジメント的なものを考えるなら、自分がイライラする理由が自分の中にもあると思えば、もう少し見方を変えることで突破口を見つけられるかもしれない。

特に同じ事象を前にして、他者がそこまでイライラしていないのに、自分はイライラするとか、悲しくなるとか、する場合、自分のものの見方や価値観の差が原因の可能性は高いので、きっと役にたつと思われる。

まとめてみて

中身がとても抽象的な話なので、きっと数年経って見返したら、この記録も違って見えたりするのはわかった上で、言語化すると自分の中の整理もできるので、現時点での理解をメモしておきます。言語化は難しかった。。

この分野を専門にしている方から見たら、解釈に問題のあるところはあるかもしれないけれど、というか、きっとあるでしょうけれど、学術的な中身の正しさより、自分の気持ちを観察することで、自分が幸せになる選択をできる一助になる気がしているので、もしもこれを読む誰かがいらしたら、とも思って記録。